東日本大震災、違法賭博による活動停止、遠征中の交通事故、そして手術。
度重なる試練を乗り越えて世界No.1選手に登り詰めた桃田選手のメンタルに迫ります。

私がこの本を読む目的
- 様々な試練と向き合った桃田選手のメンタルを知る
- 世界ランクNo.1の考え方を知る
野球と掛け持ちで始めたバドミントン
桃田選手がバドミントンを始めたのは小学2年生。当時は野球もやっており、本格的に野球を始めるまでの「つなぎ」のような感じだったとか。
小学5年生で全国大会準優勝し、そこで初めて「日本一になりたい」という気持ちが芽生えます。
そして小学6年生の最後の大会で優勝してバドミントンをやめるつもりでいました。
しかし、結果はベスト16。
悔しさのあまり、「勝ちたい」という気持ちがさらに強くなり、中学でもバドミントンを続ける決意をします。
福島で中学生を過ごす
バドミントンに打ち込むため、富岡第一中学への進学を決意します。中高一貫教育で、高校まで福島で過ごしました。
中学では順調に力をつけていき、インドネシアに武者修行にもいくほどでした。
そのインドネシアにて、3.11の震災のことを伝えられます。
仲間のことを気にかけながら、急ぎ日本に戻ります。
そして、練習拠点を移動することを余儀なくされました。
あこがれの選手との対戦
当時の日本トップクラスの選手であった田児選手との初対戦。
バドミントン人生で初めて「力を出し切れずに負ける」ということを経験しました。
その経験を活かし、高校卒業後にNTT東日本への入社を決意します。
「自分がもっと強くなるためには、日本で一番強い人と毎日練習し、その人を育てたスタッフに自分を見てもらうのが一番」と考えます。
入社後はとにかく練習の日々でしたが、特別なことをするのではなく、同じことを繰り返していました。
どこで差がつくのか。それは「いかに実線をイメージして練習できるかどうか」と桃田選手はいいます。
バドミントンをメジャーにしたい
国際大会の国別対抗戦でチーム最年少で帯同した桃田選手。日本が優勝するという当時では大金星をあげましたが、メディアなどで大きく取り上げられることはなかったと言います。
この頃から「バドミントンをメジャーにしたい」という気持ちが出てきます。
出場停止処分が明けて
桃田選手が何をしたのか、ここでは触れません。大事なことは活動停止で何を得たかです。
いつか試合に戻ることを信じて走り込み、NTTの仕事を経験して周りの人への感謝の気持ちを再認識しました。
そんな周りの人の期待に応えたい。以前よりももっと強くなって戻りたい。
それが、桃田選手を強くした原動力の1つです。
スポーツマンは、人として成長しないと、本当のトップにはなれない
桃田賢斗 作中より
世界ランクNo.1
復帰からの活躍は記憶に新しい方も多いでしょう。オリンピック金メダリストも撃破し、ついに日本男子初の世界ランク1位になります。
それでも桃田選手はこの結果に満足することはありませんでした。
いま現在の”1位”は単なる数字にすぎない。これから先、それにふさわしい選手、ふさわしい人間になりたい
桃田賢斗 作中より
交通事故、そして手術へ
マレーシア遠征中、不運な事故に遭ってしまいました。
最初の精密検査では「異常なし」でしたが、シャトルが二重に見えるという状況になり、再検査すると右眼窩底骨折と診断され、手術することになります。
ほんの一瞬、引退も考えたそうですが、「支えてくれた人たちを裏切ってしまう」と、復帰を決意します。
東京オリンピック延期
今まで支えてくれたすべての人たちに”感謝の思い”を表現するために、東京オリンピックで金メダルを取ることを宣言します。
そんな中でのオリンピック延期。
一瞬動揺しましたが、やりたいことが明確になっている桃田選手はブレません。
たとえ数か月後に開催されていたとしても、一年先になったとしても、自分のやるべきことは変わらない
桃田賢斗 作中より
おわりに
試練のたびに強くなる桃田選手のメンタルを知ることができました。
『周囲への恩返し』という動機が桃田選手をここまで強くしたのだと思います。
ただNo.1になるのではなく、No.1になって何をしたいのか。
それこそが桃田選手が選手人生の中で考えている事なのではないでしょうか。
私は読書の際、必ず最初に「読む目的」を意識してから読むようにしています。