2020年12月。
プロ野球の12球団合同トライアウトが行われ、48歳の新庄剛志さんが参加しました。
結果はどの球団からも声が掛からなかったようで、自身のインスタグラムで球界復帰断念を宣言しています。
見た目の若さから、ついこの間までプレーしていたかのように見える新庄さん。
実は、プロ野球界を引退してからなんと13年(!)も経っています。
なぜ、またプロ野球を目指したのか。どんなメンタルを持っていたのか。
そこに迫るべく新庄さんの著書を読んでみました。

一番困難だから野球を選んだ
多くの趣味を持ち、バリ島で趣味を楽しみながら暮らしていた新庄さん。
ある日、「もう一度夢を追いかけたい」と思い、プロ野球界復帰を宣言します。
引退してから13年。
いくら鍛えられた体を持っている新庄さんでも、常識的には厳しさを感じてしまいそうです。
しかし、新庄さんは言います。
「夢は困難なほどおもしろい」
メジャーに挑戦した時はメディアに「日本の恥」とまで言われていました。
日本プロ野球復帰した時、北海道日本ハムファイターズに入団して「日本一」を宣言すると、笑われました。
それでも、新庄さんはニューヨーク・メッツで一時期は4番に座り、日ハムでは3年目に見事日本一になりました。
新庄さんは困難と思える状況こそ、それを原動力にできる人なのです。
失敗したらどうする?
新庄さんはもし失敗したらどうするのかと聞かれたらこう答えるそうです。
「いや、成功しますから」
失敗した時のことを考えないのです。
人は誰でもリスクを考えてしまいます。それはもはや本能的に考えるといってもいいでしょう。
しかし新庄さんは、常に成功しているイメージを持ってきたのです。
頭の中は「ファンを喜ばせること」だけ
新庄さんと言えば、日ハム時代のパフォーマンスの印象が強く残っている方も多いのではないでしょうか。
プレー中も、「ここで活躍したら盛り上がる」や、「ヒーローインタビューでなにを話そうか」などを考えている方でした。
それらはすべて「ファンを喜ばせたい」という根底にある思いからです。
だからこそ、「失敗したらどうしよう」なんてことは考えないのですね。
プロ野球復帰の宣言を後押ししてくれたのもインスタグラムのファンたち。
新庄さんはいつもファンのことを考えてくれていたのです。
準備よりも試す事
著書の最後のページに手書きでこう書かれています。
答えよりももっと大事なことは、勇気を出して自分を試す事!!
人生思う存分楽しむことが一番の仕事なんだぜ!!
もう一度、プロ野球選手になる 新庄剛志・著
結果に縛られるのではなく、過程を楽しむことを意識する新庄さん。
いや、常に人生を楽しむメンタルを持ち続けている新庄さんは、「意識」はしていないでしょうね。きっと。
まさに、”記録よりも記憶”の選手でした。