アメリカとカナダでベストセラーになったZEN GOLF
その日本語版である『禅ゴルフ メンタル・ゲームをマスターする法』が10年ほど前に発売されました。
メンタルについて語るうえで『禅』の教えはとても参考になります。
『禅』とは禅宗のことで、中国から伝わり日本でも深く親しまれてきました。
今回は『禅ゴルフ』から、ココロの茶碗というお話をします。
ゴルフを学んではいるものの、なにかしっくりこない人へ。
まずは自分自身のココロの茶碗に目を向けてみませんか?
茶碗を空にしよう
本の冒頭にこんな話があります。
禅を学んでいる若者は、禅に関する著書を全て読破し、偉大な禅師のことを知りました。
その禅師に教えを乞うために会いに行くと、若者は学んできたことを禅師に向かって得意げに話しました。
しばらくすると禅師は「お茶にしましょう」といい、若者の前に置いた茶碗にお茶を注ぎました。
禅師はお茶をなみなみと注ぎ、それでも禅師は注ぐのを止めず、ついに茶碗から溢れました。
若者は「先生!溢れています!注ぐのをおやめ下さい!」と言うと、禅師はこう言いました。
「お前の心は、この茶碗と同じようなもので、身勝手な意見や先入観で一杯である。最初に茶碗を空にしないで、なにか学べると思っているのか」

わたし自身も、読んでいて刺さるほどの衝撃でした。
何かを学ぼうとしたとき、自分であれこれ調べられるこの時代。
情報過多と言われるネット社会だからこそ、簡単に調べることができます。
自分で何かを調べておくことが悪いことではありません。
むしろ素晴らしいことです。
ここで茶碗の話が伝えたいことは、情報で先入観を持ってしまうと、習うことにブレーキがかかってしまい、なにも入ってこなくなる可能性があるということです。
茶碗を空っぽにするということは、決して何も考えずにただ教わることに黙って従うということではありません。
すべてを受け入れてなんでも試すココロの余裕を持つということであると書かれています。
あなたのココロの茶碗はどれ?
もう一つ興味深い話があります。
仏の道を学ぶにあたって、4つのタイプの人がいるといいます。

1.伏せてある茶碗
2.割れている茶碗
3.内側が汚れている茶碗
4.キレイな茶碗
1の茶碗にお茶を注いでも、なにも注がれません。
なにを習っても頭の中が違うことでいっぱいで、なにも入ってこないような状態です。
2の穴が開いた茶碗。お茶を注いでも注いでも穴から出ていきます。
習ったことを理解するが、定着しなかったり忘れてしまう状態です。
3の汚れている茶碗。お茶を注ぐとお茶が濁ってしまいます。
習ったことを理解するが、自分自身の先入観で捻じ曲げてしまう状態です。
4のキレイな茶碗。
これが、なにかを習うときにありたいココロの器を表しています。
いまのあなたは、どれに近いと思いますか?
いまこの瞬間、どれだっていいんです。
大切なことは、これからどんな『ココロの茶碗』を持っていくかです。
ココロの茶碗とは、ココロのありかた。
あなた自身がどんなココロのありかたを持ち続けるかで、未来は変わっていきます。
ゴルフのメンタルは今日から変えていくことができます。
このブログを読んで、どんな気づきがありましたか?
禅ゴルフ
Dr.ジョセフ・ペアレント 著
塩谷紘 訳
