松山英樹選手とマスターズ

2021年4月。

ついに日本人プロゴルファーがアメリカPGAツアーの4大大会の1つ、マスターズで優勝しました。

今までは本を発行していなかった松山選手。何度かオファーはあったものの、断っていたそうです。

しかし、マスターズ優勝を機に、自身の経験や学んだことを書き残す意義を感じたとのこと。

ついに初の著書が発売されました!!

幼少期からの話も書かれているので、今回は「マスターズと松山選手」という視点でまとめていきます。

初のマスターズと東日本大震災

松山選手が初めてマスターズに出場したのは2011年。前年のアジアアマチュア選手権で優勝し、オーガスタ・ナショナルゴルフクラブ(マスターズの開催コース 以下オーガスタ)行きの権利を得ます。

その時は全く実感がなかったそうです。

出発直前。東日本大震災が起きました。仙台にある東北福祉大学に在学中だった松山選手。行くかどうかを迷っていました。

そんな時に、多くのファンからのメッセージをもらいます。

「こんなときだからこそ、松山選手の活躍が励みになります」

「夢のマスターズ。ぜひ出場して頑張ってきてください」

背中を押してくれた人たちの声援と期待に応えるように、全力を尽くそうと思ったそうです。

結果はローアマチュア(アマチュア選手で最もスコアが少ない選手)に輝きます。

ここから、「またオーガスタでプレーしたい。マスターズに出たい」という気持ちが芽生えます。

オーガスタでの涙

2度目のマスターズ。アジアアマチュア選手権を2連覇し、再びマスターズの挑戦権を得ました。

最終日のスタートホールで何かが狂い、80のスコアで回ります。

結果は54位タイ。ローアマチュアの獲得もなりませんでした。

ニュース映像で記憶にある方もいるかもしれませんが、ホールアウト後のインタビューで松山選手は泣いていました。

当時は「結果が出なかったこと」に対して悔しいのだと思っていましたが、「違和感に打ち勝てなかったプレー内容」に対して自分への不甲斐なさが悔しくて泣いたそうです。

私もこのシーンを見ていました。

そして勝手ながら、この時から「松山選手が初めて4大メジャーを獲るなら、絶対マスターズであってほしい」って思っていました。

プロへ転向

その後、松山選手はプロへ転向します。そして、1年で日本ゴルフツアーを卒業することを宣言します。

それは、またオーガスタでプレーするため。

この頃から、「マスターズに出る」だけが目標ではなくなりました。

オーガスタの地で自分のプレーを最大限表現したい。そのためにはもっとレベルの高い環境でプレーする必要がある。

世界最高峰のPGAツアーで日常的にプレーすることが最善と考えていました。

実際、この頃の松山選手は日本とアメリカを行き来する超タフなスケジューリングだったのです。

ただ、「1年で卒業する」という言葉の根拠はなかったそうです。こう語っています。

”若さゆえかもしれないが、「根拠のない自信」も時には必要だと思っている。なにも恐れず、「自分はできる」と信じ抜く力は逆境を跳ね返すことがある”

その後、主戦場をアメリカPGAに移し、本格参戦します。

苦悩のシーズン

アメリカPGAツアーでいくつかの試合(4大大会ではない)で勝ちを重ねてきた一方で、ケガや不調に悩まされる時期もありました。

試行錯誤してもうまくいかない時、心の環境を変えてみたそうです。

PGAツアーにはツアー選手権というプレーオフがあります。年間のポイントランキング30人のみに出場権が与えられる大会です。(年間王者の賞金は1,500万ドル!!)

そこで松山選手は、30人には入れればOKと自分なりの捉え方をしたそうです。

”理想には程遠い。でも、30人に入ったから許してあげよう”

大きな目標に対して上手くいかない時間が続いても、自分なりにハードルを設けてそれを越えていくことを意識していたそうです。

新たな出会い

6年間一緒に戦ってきたキャディである進藤大典さんと契約解消し、早藤将太さん(2021年マスターズ優勝時に、帽子を取ってお辞儀をしたシーンが話題になった方です)がキャディになりました。

そしてもう一人。目澤秀憲さんがテクニカルコーチとして招かれました。

実は、松山選手は専属のテクニカルコーチを契約していたことはなく、自身でこう語っています。

”自分のスイングを一番理解しているのは自分で、僕の悩みをすべて共有できるコーチなどいないという気持ちもあった”

”少なくとも、僕のスイングを語る範囲においては、どんな人も論破してしまうだろう”

元々は先輩後輩問わず様々なプロに教えを求めていたタイプだったにもかかわらず、いつの間にか周りが見えなくなっていたそうです。

意固地になっている自分、経験を重ねて頑丈にした殻に閉じこもっている自分に、目澤コーチは気付かせてくれたのです。

怒るのをやめよう

2021年のマスターズ直前。うまくいかないことが多く、キャディの早藤さんに何度も怒りをぶつけていたそうです。

オーガスタに向かう車の中で、「なぜこんなにキレているんだろう」と自問します。

”些細なミスは誰にでもある。100%完璧な人間なんかいない。そして、100%であるはずもない自分が、周りのみんなに100%を求めて、目ざとくミスを見つけては、ちょっとしたことで腹を立てている”

他人を許せない、傲慢な自分に気づいたそうです。

そして、マスターズウィークは怒るのをやめよう、と決意します。

緊張、そして歓喜の瞬間

2021年のマスターズがスタート。フラストレーションをためないよう、常にこう考えていたそうです。

”誰にでもミスはある。今週は怒らない。自分にも、周りにも寛容になろう。俺はいつも自分にも、他人にも厳しくやってきた。だから、せめて今週だけは。”

3日まで歯車はかみ合い、最終日をザンダー・シャウフェレ選手(後の東京オリンピックの金メダリスト)と最終組で回ることが決まりました。

やはり3日目の夜は松山選手も緊張したそうです。松山選手の緊張に対する考えは、

”緊張するときは「自分が緊張している」と受け入れることが大切”と言っています。

プレーは進み、最終18番ホール。

途中で差を縮められるも、首位を守って18番ホールのグリーン上にいました。

2パットでも優勝、という状況だったので、一か八か入れに行くことはせず、いつも通り打って2パットでしっかりと決めました。

日本人、そしてアジア勢初の快挙です。

私はこの日は朝から出張で、サービスエリアに車を停めてずっとその様子を見ていました。(遅刻して怒られても構わない!って思っていました 笑)

松山選手が泣いているシーンを見て、もらい泣きしたのを覚えています。

それほど、わたくし1ゴルファーにとっても嬉しいことだったのです。

最後に、この本の一番伝えたかったことは何か。考えてみました。

それは、途中にも書かれていた以下の言葉。

”ゴルフがうまくなる方法とはなんですか。そう聞かれて答えを1つあげるなら「自分自身を知ること」と言うだろう”

自分はどのクラブで〇%の確率でxxヤード飛ぶとか、そういう技術的な事だけでなく、自分自身の心を知ることが大事なのだと感じました。

殻に閉じこもっている自分を知れたこと。

怒っている自分を知れたこと。

自分自身の心を知ることができたからこそ、2011年からずっと夢見てきたグリーンジャケットに袖を通すことができたのですね。

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