わたしがスポーツメンタルコーチを目指したワケ

こんにちは!

スポーツメンタルコーチの木曽大地です。

わたしがなぜスポーツメンタルコーチを目指したか。

木曽大地という人間を、少しでも知ってもらえたら嬉しいです。

目指したワケは大きく分けて3つあります

  1. 純粋にいろんなスポーツが好き
  2. 人と触れ合い、人を支えるのが好き
  3. ゴルフが大好き→メンタルの大切さに気付く

一個ずつ、お話ししていきたいと思います。

少々長くなりますが、最後まで読んでいただけたら嬉しいです。

1. 純粋にスポーツが好き

思えば、小さいころから様々なスポーツをしてきました。

2歳から北海道で育ったわたしは、3歳の頃からスキーをしていました。

ご存じかもしれませんが、北海道では小学校の授業にもスキーがあるんですよ!

アルペンスキーのマネをしたり、モーグル選手のマネをしたり、スキージャンプのマネをしたり。

大自然の中で幼少期からスポーツを楽しんでいました。

小学校に入ると、時代はJリーグ。

Jリーグの開幕戦として行われたヴェルディ川崎vs横浜マリノスの試合をテレビで見たときのアツさを今でも覚えています。

カズこと三浦知良選手のカズダンス、ビスマルク選手のお祈りポーズ、ラモス瑠偉選手のリフティングドリブル。

みんなでマネしたことをいまでも覚えています。

また、小学校高学年では少年野球クラブに入りました。

始めたのが遅くて、なかなかついていけなかったのにも関わらず、監督は代打のチャンスを何度もくれました。

生涯でたった一本だけ打ったヒット。

あの時の感覚は今でも忘れていません。

打席からの景色。ランナーの位置。相手の守備位置。今でもはっきり覚えています。

中学校に入るとバスケブーム。

たった10分の休み時間でも走って体育館に行き、スラムダンクのキャラをマネしながらバスケを楽しんでいました。

わたしは三井寿派です。誰が何と言おうと、みっちゃんです。

異論は認めます 笑

そして、中3の時には1998年の長野オリンピック。

自分が住む国でオリンピックが行われるのが初めてで、雪国育ちの血が騒ぎました。

なんといっても、スキーのジャンプの団体戦。

わたしが住んでいた北海道上川町は原田雅彦さんの地元だったので、金メダルの瞬間の盛り上がりはとてもすごかったです。

ちなみに中学では3年間サッカー部に入っていました。

ポジションはボランチとセンターバック。

今では少し考えにくいほどの指導法で、ツラい時を過ごしたことも覚えています。

サッカーの楽しさと厳しさと、その両方を学んだ3年間でした。

高校は遠方に通っていたので運動部は諦めましたが、大学ではまたサッカーを再開しました。

純粋にサッカーを楽しみたい人が集まり、ただただ楽しくサッカーをしていました。

大学生のあの頃、スポーツを心から楽しむことに気づけた時期だったのです。

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